粉雪ブログ更新情報(※三つのブログごちゃまぜです)

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2013年10月10日木曜日

やっと一段落しました。

昨日葬儀と前倒しの初七日法要が終わり、自分のマンションに戻って寝たため、やっと一段落つきました。
通常の生活に戻りたいと思ったけど、どうやらすぐには戻れない様子。
勿論やることも一杯あるってのもそうなのだけど、私の好きなミステリって基本殺人事件なんだよね・・。
作りものとわかっていても、ちょっと見るのが辛い。
昨日まではあまりの慌ただしさに父の死の実感がわいてなかったけど、多分これからじわじわと実感がわくんだろうな。
今みたいに日記書いてるうちに泣けてきたり、ね。
 
ただ勿論こんなことは余りあってはいけないのでしょうが、することの多さ、慌ただしさにびっくりしたので。
ちょこっと記録的にと気持ちの整理のために、どんな流れか、メモしておこうと思います。
高齢の両親を持つ方は勿論のこと、人の死というのは本当に突然訪れるため、心構えや前準備の参考にしていただけたらと。
父が亡くなったのは午後4時少し前でしたが、その後、1時間にも満たないうちに霊安室へ通されました。
勿論遺族への気遣いはあるでしょうが、向こうも仕事ですし、いつ緊急の人が飛び込むかわからないため、処置室をいつまでも埋めておくわけにはいかないでしょうから。
霊安室でまず、契約のある葬儀屋に連絡。
うちの病院ではそういうときに連絡をとる葬儀屋の電話番号リストを用意していてくれたので、すぐに連絡はつきました。そこでまず、そのまま亡くなった人を斎場へ移動するか、家に連れて帰るか、通夜を家または斎場など、どこで行うかを決定します。

こういうときに葬儀屋の名前がわからないと苦労するので、契約してる葬儀屋は事前に聞いておいた方が良いと思います。
あと、うちは市のでかい病院だったからこういうことはなかったですが、悪質な病院だとマージンをとって葬儀屋を紹介しているところもあるらしいです(前に読んだ葬儀屋の暴露本に書いてあった・・・なんていったかな?)
大抵身内の死に親族は呆然としていますから、「葬儀屋に家まで送らせます」と言われれば、うなづいちゃうわけで。
ただそういう飛び込みの葬儀屋は、家に連れ帰るだけで20万~40万とか法外の値段を吹っ掛けることもあるらしいので、注意が必要です。
ので契約してる葬儀屋に連絡をとるのが一番です。お金は勿論最終的に取られますが、事前に契約条項に含まれてますので。

葬儀屋の迎えを待つ間、身内や親族、通夜や葬儀に出る必要のある人に連絡を取ります。
特にうちの場合は、父の親族は九州に集中しているため、来るのに下手をすればまる1日かかるわけで。
身内が亡くなったばかりなのに、「こうこうこういう事情で」と説明するのは辛いですが、後に回せばしわ寄せは周囲の人にいくので、頑張りましょう。
連絡を取ったり、医者からどういった処置をして、どうしてこうなったのか、説明を受けている間に、葬儀屋が到着。
医者の見送りのもと、送ってくれます。
うちは病院で亡くなったので、一度は帰りたいだろうと家に連れ帰りました。通夜自体は斎場のほうが手間がなくて良いだろうと、そうしましたが。

蒲団だけ敷けば、あとは回りに線香などの飾りつけは葬儀屋がやってくれるので。
その後の予定を話し合います。
ただ当然のことながら、通夜も葬儀も「友引」の日はみな避けたがるため。
うちの場合、7日に亡くなり、10日が「友引」だったので、8日に通夜、9日に葬儀という予定にせざるをえませんでした。
勿論伸ばすことも出来ますが、そうすれば色々な料金が別途発生しますので(遺体は長くおけばそれだけ傷みも激しくなりますし)
あと斎場は葬儀屋との関係でだいたい抑えることが出来るのですが、問題は葬儀などのお寺と火葬場との兼ね合いですね。
どこのお寺の僧に御経をあげてもらうか、どこの墓に入るのか。
きちんとした檀家ではなく、宗教などが違うと、色々制約や縛りがあります。
ただ葬儀はそちらと連携して行うため、両方の予定を照らし合わせて決めることになります(寺との予定の打ち合わせは葬儀屋がやってくれますが)
でも「友引」の前は駆け込みが多く、早く抑えないと予定が取れないかも?とは言われました。
ので時間はとりあえずだいたいの時間だけ大まかに決めて、関係者にはその後、正確な時間を連絡することにしました。
うちの場合は、余所にいる長兄が「当日の夜には帰る」といってくれたため、葬儀屋と翌朝に打ち合わせをしてもらうことにしました。
喪主はその人の配偶者か、長男が行うのが基本ですし、私だとお金の面とか、宗教とか、細かいことがわからないし、決められないので(あと葬儀代を出すにしても、遺産相続の関連でも、兄に頼らざるを得ないですしね)

兄を待つ間、葬儀屋の証書を探します。
無くても恐らく再発行を(もしかしたら有料かも?)してくれるでしょうが、あるに越したことはないため。
うちは生前、父が全てを仕切っていたため、探し出すのが大変でした。
きちんとわけてしまう人ではありましたが、余分な明細なんかも全部取っておく人だったため(^^;
悲しむ暇もあったものじゃありません(汗)

その後、夜10時過ぎに兄が車をぶっとばして帰ってきてくれたため、バトンタッチ。
私自身も疲れ果てていたため、母を兄に任せて必要事項を兄に伝えた後、家に帰って寝ました。
実感もわかなかったけど、翌日からのハードな日程を考えれば、寝ないわけにはいかないので、ビール一杯だけ飲んで、シャワーを浴びて睡眠。

翌朝9時から葬儀屋との打ち合わせ。
兄に一任はしてましたが、一応聞いておいたほうが良いかと、横で見てましたが。
今は大変なんですねえ・・・(汗)何から何まで決めなきゃならない。
祭壇の飾りから、献花の種類、添える名称、香典返し、戒名、バスの手配まで。
なんでも法律で、かつてのように「葬儀屋に一任」というのは出来なくなったらしいです。
ので全部決めるのに、12時半ぐらいまではかかりました(約3時間半)
ただ受付は、母のご近所の人が自分から「やらせて」といってくださったおかげで、助かりましたが。
故人の直系親族では無い人がやるのが基本なんだとか。葬儀屋から一人手伝ってくれるそうでしたが、その他に2、3人はいるという話だったので、申し出が無い場合、こちらから頼まなければならないので。
あとうちは宗教と祖父が眠っている墓が食い違うため、戒名を決めたりなど、細かいところで苦労が多かったです。
それと家紋が必要だと言われても全然わからず(親族に連絡もしたけど、みんなぱっとは出てこなかったし)仕方なく、朝から祖父の墓に、携帯で写しに走りました(苦笑)

幸いにして火葬場やお寺の予約も取れたため、通夜の時間と葬儀の時間が正式決定。
それを関係者に、全て伝えます。
その間に、父が眠る予定のお寺の僧侶の方が見えて、父にお経をあげて、少し昔話をしてかえられました。
その後、令状に添える文面を作るため、葬儀屋の担当者が現れ、父が生前どんな人だったかを色々聞いていきました。
その間に私は、とりあえずお昼ご飯のお弁当を買いに走りました。
もうその晩に6時半には通夜であるため、午後2時には移動で、食事を作る時間などないので。
(でもこの時点でだいたい午後1時^^;)

葬儀場への移動は黒い車で。
父と一人付き添いで、残りは車でいきます。
到着してからは、控室に通され、父のお清めなどがあります。
身体を洗ってもらい、こちらの決めた衣装に着替えて、これもこちらの決めた棺に納められます。
父は歩くことが好きだったので、杖や草履などがついたセットに(笑)
化粧もしてもらい、水を差した顔がなんだか幸せそうに見えて、ちょっとだけほっとしました。
家にいたときは、父の顔がどんどん白くなっていくのが、ひどくショックだったので。

やっと一段落・・・と思っている間に、親戚などにも、順次到着。
ただ、あまりの慌ただしさに斎場で通夜を行うことを伝え忘れた親族が居て、直接実家に来てしまってまいりました(汗)
その人はまだ、タクシーの運ちゃんが携帯に連絡してきたため、斎場の場所を教えて移動をお願いしましたが。
他に携帯を持たず、家の位置もわかっているかはっきりしない親族がいて、連絡はつかないは、かといってこちらの親族の携帯電話番号を知ってるわけでもないというので、どうすれば良いのかとちょっと途方にくれました。
今は家に葬儀の知らせなどを貼ると、泥棒に狙われやすいということで、葬儀屋のほうでもやめたほうが良いと言われていたので。
ただ家まで迎えにいこうにも、つくのが何時かわからないうえ、私たちはリハーサルで5時半には集合しなきゃならなかったので。
結局通夜の日と、葬儀の日と、近所の人をのせるバスの手配をしてもらっていたため、バスの運転手にその人がいたら一緒にのせてくれるようお願いすることにしました(時間はずらせないといわれましたが)
結局上手いこと、その人がバスにのってくれたため、通夜には間に会ったのですが(本気で大変だった^^;)

リハーサルで細かい手順を20分ほどで教えてもらって、その後少し休憩。
でも6時半からはもう通夜の上、親族がいるため、その相手で休む暇もありません。
6時からお通夜がはじまり、40分くらいで終了。
もう涙は出ても、余りの慌ただしさに、良くわからない状態になってましたが(笑)
その後、来てくれた人にお礼をいい、引けてから部屋に戻るわけですが、その間にも、親戚にお茶をふるまってお弁当を渡したりと、休む暇もありませんでした。
ただ、私は着替えを持ってくるのを忘れたので、それを理由に今日一度家に帰る親戚の相手をしたら、お弁当を持ってマンションに一度もどりましたが。
今の親族控室には綺麗なトイレやお風呂もついていて、着替えさえ持っていけばそのまま泊まれるのですが、ついでなので家でシャワーをあびてきました。

その間も兄は喪主として、来てくれた人に挨拶したり、話しこむ親せきの相手をしたり、その人たちのホテルの手配をしたり、車で送ったりと大変だったようです。
葬儀屋のほうはホテルの名前くらいは教えてくれても、ホテルの手配まではしてくれないそうなので。
ただ部屋にお茶を入れるセットはあるものの、熱いお茶をわざわざ入れるのも大変だし・・・自分達が飲むのもということで、兄がペットボトルを大量に買い込んで来てくれたのは助かりました。
小さいけれど冷蔵庫があるので、そこに20本ぐらい入れてたお茶やジュースは、帰りには5本くらいになってました。
お茶出しに大活躍でした(笑)

で、控室に戻り、部屋に戻してもらった父の棺の周りに布団を敷いて、就寝。
テレビは一応あるけど、つけても放心状態で、ほとんど見てない状態でしたね。
余りの慌ただしさに。
ただ、前の晩ロクに眠っていなかったらしい母や兄はやはりくたくただったらしく、早々に眠りについてましたが。
私は逆に、前日にビールを飲んで無理やり寝たので、布団の固さと暑さに、なかなか眠れませんでした(多分2時間半くらいしか寝てない)
でも翌朝も、6時半くらいには皆起きてましたが、9時半から儀式で食事をとることになっていたので、その前に準備が大変でした。
私は予備で持ってきた黒いストッキングが伝線しており、しかたなく24時間のスーパーへ朝から買い物に(しかも喪服で(苦笑)
サイズはそこそこ揃っていたため、助かりました。
兄もその間に実家に戻って、シャワーを浴びてきて、必要なものを買ってきたようです。
控室のお風呂は、ビジネスホテル並みだし綺麗なんだけど、やっぱ落ち着かないらしく。
ともあれ、西友万歳!←笑。

母は多分最後の機会だろうと、昔から持っていた着物を着ることになっていたため、着付けのために少し早めに食事を。
私もそれに付き合わされました。
精進料理・・・といいながら、メニューはかなり凝っていて、美味しいものでした。
母は消沈する間もないらしく、バクバク食べていたため、少しほっとしました。
着つけはやってくれる人を、事前に言えば葬儀屋が手配してくれるので、昨日のうちに持っているものの確認に来てくれて、足りないものを購入するよう言われてました。
まあね・・・何年も閉まってるだけのものだからね。
喪服の着ものは何枚もあったのですが、葬儀屋担当者に通夜は洋服、葬儀が着ものが普通。
「家紋入り」が正装と云われていたので、母の葬儀の時の着ものは家紋入りでした。
ただその家紋が父の実家のものか、母の実家のものかわかっていなかったため、事前に確認が必要だったわけですが。

10時半からは葬儀のリハーサル。
こちらはもう、身内の葬儀だということを余所に、手順を覚えるので必死です^^;
で、少し間が開いたために控室へ。
でも今日はお茶を入れるほどの間もないため、ほっとしたら少し悲しみの実感がわいてきました。
特に今日は友達も来てくれたため、じわじわ泣けちゃいましたが。
11時半から葬儀開始。
1時間弱で終了し、そのまま霊柩車にのせられた父について、バスに。
火葬場に向います。
正式なお別れは、葬儀場を出る前に行われるので、火葬場についたら、後は焼かれて骨だけになるのを待つだけです。
全て焼きつくすのに1時間以上はかかるため、その間は親族とともにお茶でも飲みながら待ちます。その間も母や兄は親族の話相手になってました。

ただ、父の骨を見せられた瞬間、母が棺が納められる瞬間、「とうとうお別れだね」と云った意味が、わかるような気がしました。
遺体が存在するうちは、まだこの世にいるような気分になっているんですよね。
でもそれが骨だけになると、到底それが父と同一のものだとは思えず。
嫌でも父がいないことが思い知らされるんですよね。
それにその後の、骨を納める儀式も。
火葬場まで来たことは以前もありましたが、この儀式がこんなに親族にとっては残酷なものだとは、気付かなかった気がします。
かつては父だった骨が、係員の手で事務的に小さくくだかれ、お盆にくべられるわけですから。
幾ら昔からの儀式とはいえ、親族は工程をしらず、おさめられた骨壷だけ渡されたほうが幸せな気がするなあ・・・。

ともあれ、火葬が終わったため、写真や位牌、父の骨を持って、親族はバスにのって斎場へ再び移動。
そこで前倒しで行うことが出来る、初七日法要が行われました。
実際は亡くなってから7日で行う儀式ですが、やはり親族がそろっているときのほうが良いということで、今はうちのように前倒しで行うところが多いようですね。
ただ、そこで行われた僧侶の説教が、えらく長く・・・^^;
まあうちが場所の関係で、宗教が違うというのもあったのでしょうが、宗教の成り立ちを丸っきり大学の講義か何かのように、延々と30分くらいかけて説明されたため。

父が亡くなった日から全力疾走状態の私たちは、疲れで眠くて、半ばふわふわしてました(笑)
さすがにこの儀式で、居眠りするわけにはいかんだろうけど、説法が長すぎだよ・・。
ともあれ、1時間ほどで儀式は終了。
最後に故人を惜しむという意味で、親族の食事会が儀式で行われます。
食事メニューは多かったし、美味しかったけど、やはり親族相手に礼を言って、ビールをついで回ったりしなきゃならないので、落ち着いて食事って感じではなかったですが。
食事会が終わり、ようやく儀式の工程は全部終了。
ただそれからも、兄は親族をホテルや駅へ送ったり、私は控室を片付けたりと。
なかなか大変。
それに、家に49日までの一時的な祭壇を設けてもらうため、母は父の位牌などを持って、一足先に葬儀屋と共に帰宅。
家に戻ったら、供養の仕方や、これからの予定などをざっと説明されて、とりあえず終了。

これでようやっと葬儀までがすべて終了したため、私はバトンタッチして、マンションに戻りました。
父の祭壇の写真を見て、ひどくほっとしたのを覚えてます。
選んだ写真が良かったから、すごく父が嬉しげに見えたのもそうだけど、あんなに多くの親しい人たちに惜しまれて、見送られて、父はきっと幸せだったでしょうから。

葬儀の儀式があまりに多くの段取りや段階があるのは、昔からの慣習の結果ということもあるのでしょうが、忙しくして遺族の悲しみを和らげるという意味もあるそうです。
そういう意味では、確かに成功しているかもなーと思います。

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